当社のパソコン遍歴(Windows時代・なまあず以前)

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こんにちは。こんな企画を楽しみにしていた方が意外といたので、次も作ります!!Windowsパソコンです。当初は仕事に使えないと判断したため、実践に投入するのは、初のWindows機を試してから4年後になります。

Contura AERO 4/25 1994年頃

PC-9801全盛で、会社ではアーキトレンドがフル稼働中。その傾向は変わらないと判断したものの、Windows3.1機も試して見ようということで、当時自腹で導入したのが今は無きコンパックのサブノートパソコン。非常に安価でしたがモノクロ機で小型軽量。ロータスの手帳ソフトが魅力でした。トラックボールは使いにくかったですが、Windowsが何者か?は分かりました。役目は早々に終わり1年ほどで手放しました。486SXでメモリ4MB、HD170MBと今では考えられないスペックでした。

aiwa MT433 1996年頃

最近復活したaiwaは全盛期。ソニーのウォークマンを買えない人達がaiwaに飛びつきました。そしてPCも出していました。ソニーのトリニトロン管が非常にキレイで、テレビも見られる非常に良いパソコンでした。初のCD-ROM搭載パソコンで音も良かったため、個人利用から、会社でのパソコンに格上げされて、仕事でも使われました。テレビチューナーがあるということで、想像以上に長く使われました。

自作一号機 1997年頃

パソコン自作が流行しました。またWindowsが急激に普及し、アーキトレンドもWindows化するなど、建築系ソフトも増えてきたので、高速機の導入を検討。会社の実験的なものということで、予算も少なかったので、自作を選択。秋葉原に通って部品を買って組み上げました。CPUはAMDのK5。当初の予想より遅いため市場の評価はイマイチでしたが、安価で使いやすいCPUでした。マザーボードはASUSのTP4N。安価だが当時評判がよかったASUSなので採用しました。ハードディスクはウェスタンデジタルです。なんと今でも好みでよく使つ3メーカーなんですね。ビックリです。かなりのメーカーが淘汰されるなか、今でも第一線で活躍している3社は凄いと思います。

OSはWindows95。動作は問題なく、アーキトレンド21を試したところ、動作も問題ない。ということでWindows95を本格的に仕事で使おうという第1号機となりました。汎用機として活躍しました。

Panasonic Woody 1998年頃

私が大学4年生の頃、とある応募で当選したパソコン。巨大でした。タッチパネルが使え、事務で長年使われました。Windows95が仕事で使えるということで、ワープロなどで確認申請の書類を作っていましたね。

自作二号機 1998年頃

私が大学を卒業して他業界に行くため、事務所の装備をきちんと整備しようということで、社員のアーキトレンドが快適に動くようにと、社長に依頼されて導入したパソコン。CPUに当時評価の高かったAMDのK6を採用し、マザーボードも安定した実績のASUSのT2P4を採用(もちろんTAG付)。TritonとK6の威力はすごく、Windows98もアーキトレンド21も快適に動きました。慎重に吟味して作ったので、長期間CAD用のパソコンとして活躍しました。

自作三号機 1998年頃

二号機とまったく同じスペックで使ったパソコンです。当時アーキトレンド2台を使わなければならなかったので、二号機が完成したころに制作。二号機よりも長期間活躍してくれました。二号機が壊れたときは、その部品をメンテナンス用に使ったので、WindowsXP時代まで活躍しました。ちなみに私は他の業界に就職しましたが、戻ってくるまで元気に活躍しました。この三号機はユニオンシステムのSS1、木造構造計算ソフトのKIZUKURIでも活躍し、構造計算ソフトの運用にも寄与しました。

自作四号機

業務からPC9801がほぼ引退したため、Windows機の補充として投入。もっともWOODYなども健在だったため、何の為に作ったか?今となっては不明。Athlonを使いたかったからだけ?当時の社長用のパソコンとなりました。SS1がよく動いていた気がします。

NEC Crusoe機

持ち歩きもあり軽量でバッテリーがもつパソコンを探したところNECが発売しました。クルーソーは速度こそ遅かったですが、抜群のバッテリ-のもちもあり、重宝しました。結局外で使う事はほとんどありませんでしたが。

自作五号機

私が建築業界に戻ってくるために作った建築設計入門用のパソコン。当時パソコンショップに勤めていたことを最大限に活かし、制作しました。CPUはAMDのAthlonXP1300。マザーボードはA7V133(やっぱりASUS)、グラフィックカードはMileniumG400。G400はMatroxのデュアルディスプレイ対応の人気のグラフィックカードで表示が美しかったです。このパソコンからマルチディスプレイに対応しました。CAD、構造計算などはこのパソコンで覚えました。このパソコンの導入で調子が悪くなった二号機は引退しました。当初からWindowsXP専用機として制作され、不満が少ない機種でした。2007年頃引退。

自作六号機

自作五号機のスペアとして購入したA7V133を使って作られました。四号機の代替で、しばらくはDuronで運用、後に四号機で使ったAthlonに移行。部品が余ってきていたこともあり、いろいろ組み替えました。2007年頃引退。最後の自作機でした。忙しくなってパソコンに構っていられなくなったようです。

NEC 2号機

外でプレゼンするために購入したNECノートパソコン。PentiumMを搭載し、クルーソーの死ぬほど遅いものからの変更もあり、爆速でした。引退後、個人の趣味用のパソコンとして長く使用しました。

E-machines機(J3024)(1号機・2号機)

社長の4号機が不安定になったので、購入。久々の市販機。懐かしのeMachinesです。3号機の引退にともない、同型機を導入。Celeronでしたが意外と実用性が高く活躍しました。1号機は2008年に引退、2号機は2012年頃まで息長く使われました。

HP機

初のヒューレットパッカード社のパソコン。小型なのに、Core2Duoを搭載したため爆速でした。Intelの高速機は初めてだったので感動しました。ただ以外と短命でした。

NEC3号機

HPが短命だったため、つなぎで買ったノートパソコン。家庭用で赤い。あまり記憶がない。

NEC4号機

事務用のディスプレイ一体型パソコン。Pentium4なので、小冊子の作成などにも使われました。なまあず本舗設立移行も当時の管理建築士が使い続けました。

DELL1号機

事務所移転を機に構造計算用に新パソコンを購入。この頃は構造計算全盛でした。DELLの新シリーズのVostroです。シンプルな構成でトラブルが少なく、旧事務所から、なまあず本舗になる直前まで使い続けました。2010年秋に引退

DELL2号機

入社した期待の新人がDELLがいいといったので、1号機と同じ物を導入。しかしその後使用者が変更となり、意匠用のパソコンとなりました。アーキトレンドが長く活躍し、なまあず本舗時代まで活躍しました。

パソコン工房1号機

府中にパソコン工房ができたため、購入。NEC3号機後に私の主力機として導入。Window7で運用。XPモードも多用しましたね。CPUは出たばかりのCore i7の860だったので快適でした。2010年に起動しなくなったため、マザーボードを交換して使いました。なまあず序盤に一番稼いだ機種といえます。

パソコン工房2号機

2010年10月に、新入社員入社に伴い購入。パラレルポートが付いているWindows7機。店舗管理やCADに使われました。

パソコン工房3号機

DELL1号機からのリプレイス。フッドペダルをつけたM氏専用パソコン。構造計算専用機で活躍しました。なまあず本舗設立後も使われ、M氏独立に伴い、東北に旅立ちました。