関東大震災90周年を迎えて考えたこと


こんにちは。9月になったのに府中は猛暑です。昨日よりはマシなのかもしれませんが。

さて、昨日は防災の日。いうまでもなく関東大震災が発生した日です。1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、お昼の準備をしている時間です。マグニチュード7.9という巨大地震が関東地方を襲いました。190万人が被災し、10万5千人余りが死亡したとされる大都市での災害は想像がつくものではありません。全壊も10万棟以上、全焼も20万棟以上でした。よく数えたな・・・と調査を行った方々もとても大変だったと思います。

さて、関東大震災が発生した年も、暑かったそうです。そして運が悪いことに台風が近くに来ていました。この台風で風が強かったことも火災が大きくなった要因ともいえそうです。そんな暑い中に大震災が発生したため、当時の気象台では異常の高温になり、2日未明には最高気温46.4度を記録したそうです。もちろん火事の影響でしょうけど、火事だけでそんなに暑くなる・・・想像を絶する出来事のようです。

笹子トンネルで崩落事故がありましたが、地震でトンネルが・・・ということはあまりピンと来ないと思います。しかし当時、トンネルが少なかった頃なのに、国鉄のトンネル93で補修が必要になったそうです。当時に比べてトンネルや地下街が非常に多くなっていますから、トンネルの災害も心配ですね。

不幸なことは重なるもので、当時の加藤総理大臣が震災発生8日前に急逝していて、震災当時総理大臣不在(臨時代理が職務を代行)でした。またラジオ放送はまだでしたし、新聞社も被災。情報がほとんどなかったんですね。現在、情報社会といわれていますが、その情報が一斉に使えなくなったら、また国のリーダーが不在だったら・・・どうなりますか??想像できるでしょうか??しかも第一次世界大戦終了後の恐慌が1920年に発生。それからまだ3年しか経過していない時期でした。多くの企業が倒産しました。そこに大震災が重なったのです。まさに弱り目に祟り目でした。これらをきっかけに1927年には昭和金融恐慌・農業恐慌が勃発します。

この大きすぎる打撃から復活するために、建築業界では、建物の耐震化、街並みの区画整理、建物の不燃化が進みました。建築基準法の前の法律である市街地建築物法を1924年に改正し日本で初めての耐震基準が規定されました。諸外国からの支援も送られてきました。アメリカがメインで、イギリスや中華民国など、そんなに遠くない時期に戦争する国々から送られてきました。インド、オーストリア、カナダ、ドイツ、フランス、ベルギー、ペルー、メキシコなどからも送られたそうです。国際化・・・というのは、この時期すでに広がっていたんですね。ネットもテレビもない時代、しかも交通手段だって今よりもかなり貧弱だったはずなのに・・・・。ありがたい話です。

被災後、多くの家屋が倒壊、焼失した東京の住民は、集団避難地へ避難。1万2千人以上を数える集団避難地は、160箇所を記録したそうです。やはり大都市ですね。避難先は寺社や学校。そのほかでは公園などにテントを設営したそうです。あの靖国神社にも仮設住宅が建てられたそうです。

私も近年、関東大震災について、いろいろ調べましたが、いろいろな記録がでてきます。日本人は、この震災のことを知らなさすぎる、ということを痛感しました。東日本大震災の復興にもきちんと目を向けると同時に、この90年前の大震災をもう一度勉強してみようと感じています。